明るいがん患者を目指して

自分が乳がんになったことを忘れないために、これまでの体験を振り返っていこうと思います。

人間ドック(2016年10月26日)

2016年の人間ドックは、前年のドック終了後に予約しました。
というのも、この年は48歳・年女ということで、一度やって懲りていた胃カメラを麻酔下で受けようと思っていたのです。
1日に麻酔下での胃カメラを受けられる人数が限られているため、1年前から予約していました。


本来ならば、自分にとってはこれがメインイベントになるはずだったのですが…。


毎年受けているマンモグラフィーの検査を終え、医師による診察の時に乳房の触診もしてもらいました。これも毎年やってもらっているものです。
この時の先生は、昔、内科外来にいた女医さんでした。
乳房のことで最近、不安に思っていることを話すと、かつてないほど、ものすごく念入りに触診してくださいました。
そして、エコーの検査を受けることをすすめられたのです。
運良く、日を変えずに受けられることになりました。


胃カメラのための麻酔も切れたところで昼食。
一緒に受診した主人は、すべての検査が終わっての食事。
一方の私は、乳房のエコー検査が残っている状態。
ここの食事は、例年なら物足りなくてご飯をおかわりしているのに、この時は不安が大きくて、おかわりできませんでした。
(胃カメラの後で、喉が痛かったのもあります。)


午後、いよいよエコー検査。
最初は「なんかねー、最近、心配になっちゃって…」なんておしゃべりしながらやってもらっていましたが、そのうち、技師さんが無口になって念入りにやっていって、「ちょっと待っててください。もう一人、呼んできますから!」と検査室から出ていってしまいました。
しばらくして、もう一人の技師さんと一緒に戻ってくると、「私、もしかしたら、過小評価してるかもしれない」なんて言っていて…。おいおい、それってどういうことなの~(・o・)


二人がかりによるエコー検査の後、待たされている時間が不安でなりませんでした。
あれだけ念入りに、しかも二人でやっていたということは、「あ~、きっとヤバいんだな
…」と感じました。


技師さんから外来受診することをすすめられ、それから約2週間後の11月8日に予約を入れてもらったのであります。


(つづく)

どうして乳がんと思ったのか

乳房に痛みがあったのですよ。
でも、「痛みがあるのは、がんではない」と聞いたことがあるような気がして…。
「自分はきっと違う…」という思いと、「もしかしたら…」という思いが、行ったり来たりする日が続きました。


それから、腕の痛みもありました。
右利きなのに、なぜか左腕が痛くて、「どうして筋肉痛になったんだろう」とずっと不思議に思っていました。


鎖骨の辺りも痛かったような気がします。


こうしてどんどん病気を疑うようになっていき、人間ドックできちんと伝えて診てもらおうと思うようになったのでした。

もしかしたら…(2016年9月のこと)

先月、小林麻央さんが亡くなられました。
ご冥福をお祈り申し上げます。


私が「自分が乳がんなのではないか」と思い始めたのは、昨年9月のこと。
きっかけは小林麻央さんでした。
芸能人で乳がんであることを公表された方は他にもいるのに、どうしてだったんでしょうね…。


昨年9月は、ほぼ毎週遠出する予定があったり、所属する吹奏楽団の特別練習があったりと、忙しい月でした。


2週目に大学時代の仲間との会合があった時、仲間の中に乳がん体験者がいたので、思い切って相談してみようかと思いましたが、楽しい宴会の場ではなかなか切り出すことができずに帰ってきてしまいました。


翌日も別の会合があり、不安を拭い去るようにして参加しました。


3週目、田舎に帰り、高校時代の友人に会いました。
医療従事者だったため、ようやく思い切って相談することができました。
家族以外の人に初めて話して、ちょっとホッとした気がします。


翌日は中学時代の友人に会いました。
彼女も医療従事者なのですが、血圧のことは相談はしたけれど、乳がんのことは相談できないまま別れました。


すでに、10月26日に人間ドックを受診する予定が入っていました。
でも、その前に、他の病院で検査してもらった方がいいのだろうか、と悩みました。
10月は、音楽教室の発表会や吹奏楽団の定期演奏会があって、これまた忙しかったので、「きっと気のせい!」と自分に思い込ませて予約の日までを過ごすことにしました。
ただし、受診の際には、現在不安に思っていること・症状はしっかり伝えよう、と心に決めました。


そうして、人間ドックの日を迎えます。


(つづく)